
物に当たる行動を「問題行動」だけで終わらせてはいけない理由
家の中で物を投げる、壁を叩く、ドアを強く閉めるといった行動が起きると、家族は強い恐怖や混乱を感じます。「暴力的になっているのでは」「このままエスカレートするのでは」と不安になるのは当然です。
しかし、不登校や引きこもり状態にある本人の行動を、単なる問題行動として処理してしまうと、本当に必要な支援から遠ざかってしまいます。物に当たる行動は、多くの場合「怒り」そのものではなく、「これ以上感情を抱えきれない」という限界のサインです。
怒りは本来、自分を守るための感情です。ですが、その怒りを言葉にできず、誰にも受け止められない状態が続くと、感情は行動として噴き出します。人ではなく物に向かうのは、無意識のうちに「人を傷つけてはいけない」というブレーキがかかっている結果でもあります。
不登校・引きこもり状態で怒りが噴き出しやすくなる背景
不登校や引きこもりの状態は、外から見える以上に心の負荷が大きい状態です。学校や社会から距離を置くことで一時的に安心できても、「何も進んでいない自分」「役に立っていない自分」という自己否定が内側で強まっていきます。
周囲の同世代が前に進んでいるように見える中で、自分だけが止まっている感覚を抱えることは、強い焦りと怒りを生みます。しかし、その感情を表に出すことは「迷惑をかける」「責められる」と感じ、抑え込んでしまう人が多いのです。
抑え続けた感情は消えることはなく、家庭という唯一の安全圏で、物に当たるという形で噴き出します。
言葉にできない感情が行き場を失う心理構造
「何がつらいの?」と聞かれても答えられない状態は、決して珍しいことではありません。不登校・引きこもりが長引くほど、自分の感情を整理し、言葉にする力は弱まっていきます。
頭の中には不安・焦り・怒り・諦めが混ざり合って存在しており、本人にも整理がつきません。その結果、言語化を求められるほど追い詰められ、衝動的な行動に出やすくなります。
物に当たる行動は、言葉にできない感情を一瞬で外に出すための、最も簡単な手段になってしまっているのです。
怒りが人ではなく「物」に向かう本当の理由
家族に向かって怒鳴るのではなく、なぜ物に当たるのか。その理由の一つは、「人との関係を壊したくない」という無意識の防衛です。
不登校・引きこもり状態の人は、家族への依存と罪悪感を同時に抱えていることが多くあります。「迷惑をかけている」「これ以上嫌われたくない」という思いが、人への攻撃を強く抑制します。
その結果、感情は抵抗のない物へと向かい、破壊という形で放出されるのです。
物に当たる行動の裏に隠れているSOSサイン
物に当たる行動は、「怒りたい」のではなく「助けてほしい」というサインであることが少なくありません。
・自分でも感情を抑えられない怖さ
・このままでは壊れてしまうという不安
・誰かに気づいてほしいという願い
こうした気持ちが言葉にならず、行動として現れています。行動だけを止めさせても、根本的な苦しさは残り続けます。
家族がやりがちな逆効果な対応とその理由
恐怖や不安から、家族が強く叱ったり、力で抑え込もうとすることは珍しくありません。しかしこれは、本人の自己否定をさらに強める結果になりがちです。
「なんでそんなことをするんだ」「みんな我慢している」といった言葉は、本人にとっては「自分はダメな人間だ」という確認になってしまいます。
また、原因を無理に聞き出そうとすることも逆効果です。答えられない自分を責め、怒りがさらに溜まっていきます。
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感情が爆発した直後に家族ができる関わり方
物に当たる行動が起きた直後は、まず安全の確保を最優先にします。そのうえで、感情が落ち着くまでは説教や議論を避けることが重要です。
落ち着いた後に、「怖かった」「心配だった」と家族自身の感情を主語にして伝えることで、責めずに関係を保つことができます。
この段階で解決を急がず、「今はつらかったんだね」と状況を受け止める姿勢が、次につながります。
怒りの行動を回復につなげるために家族ができること
回復のために大切なのは、行動の是正よりも、感情を安全に出せる関係づくりです。家庭だけで抱え込まず、第三者や支援機関につながることも重要な選択です。
物に当たる行動は、決して「終わりのサイン」ではありません。むしろ、限界を迎えた心が発している変化の入口です。
家族が「止める役」ではなく「支える役」に回ったとき、怒りは少しずつ言葉へと変わっていきます。







